築城年代は定かではないが天文年間(1532年〜1555年)に宇佐見左衛門尉によって築かれたのが始まりとされる。
その後、一柳直末が改修して郡上八幡の遠藤慶隆に備えた。天正15年(1587年)豊臣秀吉が郡上八幡の遠藤慶隆を転封し、稲葉貞通を郡上八幡城主とすると、大洞城もその支城の一つとして取り上げられた。
大洞城は津保川と武儀倉川が合流する地点の北に聳える標高260m程の山に築かれている。
主郭は山頂にあり神社が祀られているが曲輪は小さい。通路は南から東へ回り込んで主郭の東から入る構造であるが、その途中は石積が所々に残されている。主郭部に入る部分は西に竪堀を入れ、入口にあたる部分に石垣で方形の基壇があり、南東隅には竪石を使っている。
主郭の南には石垣で外枡形状の虎口が作られていたようであるが、この部分は林道が付けられてしまいほぼ消滅している。辛うじて石積の一部が確認できるが、形状を復元するのは現状では困難である。この南側部分一帯にも城域は拡がっていたようであるが、林道によって破壊されてしまったのは残念としかいいようがない。
大洞城の居館と考えられているのは東麓にある稲荷神社の南側にある大きな平段である。
東麓の県道63号線からスーパーの脇にある細い道を入ると稲荷神社がある。この神社境内に駐車可能で、案内板の脇から登る道がある。
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