築城年代は定かではないが佐藤六左衛門尉によって築かれたと云われる。
佐藤六左衛門尉は永禄6年(1563年)に没したが、その跡を佐藤六左衛門秀方が継ぎ、織田信長に下がって各地を転戦、五千貫を領した。文禄3年(1594年)秀方が没すると佐藤方政が家督を継いだが、関ケ原合戦で西軍に属して改易となった。
鉈尾山城は美濃市運動公園の東に聳える標高437.0mの古城山に築かれている。現在は登山道が整備されている。
鉈尾山城は山頂から南北に伸びた尾根に曲輪を展開しているが、堀切や竪堀といった遺構は見あたらず、切岸による段曲輪の連続である。ただ、南尾根の曲輪や主郭の東側面には石積遺構があり、登山道によって改変されている部分があるものの、主郭の南北には虎口遺構が確認できる。
美濃市運動公園から遊歩道が整備されている。北ルートと南ルートがあり、周遊可能であるが、訪れたときは工事中であったため、北ルートで上り下りしている。
最寄り駅(直線距離)