慶長10年(1605年)金森長近によって築かれた。 慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で東軍に属して郡上八幡城などを攻めた功により、飛騨高山城主金森長近は美濃国武儀郡などに二万石の加増を得た。長近は飛騨高山は養子の金森可重に譲り、自身は小倉山城に築城して別家を興した。
慶長13年(1608年)長近が没すると、二男の金森長光が継いだが慶長16年(1611年)わずか六歳にて没して無嗣改易となり、上有知藩はわずか二代で廃藩となった。
その後は天領になり、元和元年(1615年)からは尾張藩領となって代官所が置かれた。
小倉山城は長良川に面した独立丘陵に築かれており、現在は小倉公園となっている。
南に開けた城下町を形成し、大手には大手門跡と石垣が残っているが、城山には遺構がほとんど残っておらず、櫓風の展望施設などがあるのみである。
西側にある清泰禅寺は鉈尾山城主佐藤氏の菩提寺で、佐藤氏の墓と金森長光の墓がある。
国道156号線沿いの美濃市役所を過ぎて北上し、殿町交差点を北に入って美濃市図書館を目指す。ここに駐車場がある。
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