築城年代は定かではないが明智頼基によって築かれたと云われる。 明智氏は美濃国守護土岐成頼の子土岐頼基が可児郡明智八郷を領して明智氏を名乗った事に始まる。
天文21年(1552年)明智定明は斎藤道三と戦って討死し、一族は離散し、定明の子定政は家臣に守られて菅沼常陸介を頼って落ち、後に徳川家康に仕えて土岐氏に復姓したという。
戦国時代に織田信長に仕えた明智光秀の出自については定かではないが、一般的にこの明智氏の一族といわれる。
明智城は別名を長山城(おさやま)と呼ばれ、東西に長く延びた丘陵に築かれている。現在は公園として整備されており、二の丸、本丸、馬場などの標柱が建ている。 桔梗坂を北へ降りて行くと大手門として冠木門が建てられている。
南側の羽生ヶ丘団地側から城内まで車道があり道標に従って進めば二の丸まで車で行くことができる。
最寄り駅(直線距離)