延徳年間(1489年〜1492年)第64代国造俊連が築城したとも云われる。
天正4年太田源太夫が築いた太田城は
天正5年織田信長は雑賀を攻めると太田衆はその先導を勤める。翌年雑賀衆は太田城を攻めるが、守りの堅い太田城を攻略できずに和議となった。
天正13年には羽柴秀吉の紀州侵攻軍が、根来寺などを次々と落とし太田城に来襲、三千の先陣が紀ノ川を渡岸しようとした所を弓・鉄砲で迎撃するなど抵抗する。
容易に落ちぬとみた秀吉は
備中国高松城攻めでも見せた水攻めによる攻略を実行し、約一ヶ月の籠城戦で落とした。