和歌山藩では安政元年(1854年)頃から海防警備のための台場整備計画が始まり、友ヶ島や和歌山の加太から海南一帯に台場を築造する計画がたてられた。しかし、雑賀崎台場は資料には登場せず、カゴバとして狼煙や番所の印が付けられているにすぎない。
雑賀崎台場は雑賀崎の北西に伸びたトンガの鼻岬に築かれており、現在は県指定史跡として整備されている。
岬の先端でやや小高くなったところに土塁と石積で囲まれた区画があり、手前の尾根側面に石塁の遺構が残る。
南の県道沿いに雑賀崎台場入口の道標が出ており、そこに駐車可能。
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