紀伊 木本城きい きのもとじょう
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鎌倉時代に木本源太宗保が築いたと云われる。
最終的な遺構は天正5年(1577年)織田信長の軍勢が雑賀衆の中野城を攻めたとき、あるいは天正13年(1585年)豊臣秀吉により紀州攻めの陣城であったと推測されている。
木本城は宮舞山から東へ伸びた丘陵の先端頂部に築かれていたが、現在は造成工事のために完全に消滅している。
発掘調査によって土塁囲み単郭の城で、土塁の内高は最大3m、虎口には門の礎石も確認されたようである。