詳細不明。近年確認された城跡で、天正5年(1577年)織田信長により紀州攻めに関連する城跡と推測されている。
高野山城は紀伊国境に近い、高野山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
主郭は高野山山頂にあり、南側にやや高い土塁を備え、東に虎口を開口する。虎口の外側には虎口受けの小空間があり、外枡形状になっている。
主郭の南下にある曲輪IIは削平されているが、南端の切岸は甘く堀もない。北東側に土塁状の高まりがあり、現状ではここから主郭Iに登るように歩かれている。主郭との間aは開口して一見すると堀切のように見え、その西側は不明瞭な塚状地形や窪みがあり、どのような遺構なのか判断が難しいが、この部分は曲輪IIの虎口と判断した。つまり、主郭Iと曲輪IIとの間は曲輪の内部では行き来できず、東側面を使って行き来していたと思われる。
主郭の南西下には堀切1がある。この堀切は南側が曲輪IIから横矢が掛けられるように折れ曲がっている。
主郭から北東に伸びる尾根には四重堀切2が設けられている。一番内側の堀切は緩斜面となる東山腹側に竪堀が伸び、その内側には土塁で囲まれた緩斜面空間が存在している。
北東の峰は自然地形であるが、南東の斜面側に竪堀状地形が確認されている。位置的に城郭遺構ではと思われるが不明である。
南の高仙寺孝子観音から登山道がある。南の国道高架付近に駐車可能で高仙寺までも徒歩で行く。
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