築城年代は定かではないが室町時代に雑賀党によって築かれたと云われる。
孝子峠越えと大川峠越えの道が交差する付近で、土入川沿いの微高地に位置する。 天正5年(1577年)織田信長の雑賀攻めでは、中野城は和泉国に近く前線となって攻められ落城、弥勒寺山城に本陣を構える雑賀党に対する織田方の陣として中野城は利用された。
中野城は貴志南小学校の南側一帯に築かれていた。 小学校とその南にあるスーパーオークワの間にある民家の前に標柱と案内板が設置されている。この民家の土台となっている石垣が城の遺構と伝えられ、その前にある土の部分がかつては堀であった。
貴志南小学校の南にスーパーオークワの駐車場があり、その南の細い路地を東へ歩いた所に案内板がある。
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