築城年代は定かではないが延文年間(1356年〜1361年)に畠山氏によって築かれたと云われる。
南北朝時代に南朝方の四条中納言隆俊や塩屋伊勢守が最初ヶ峰に布陣したとき、北朝方の畠山氏が和佐山城に城を築いたのが始まりとされる。
和佐山城は標高255.2mの城ヶ峯に築かれている。
山頂部の主郭から南の峰に掛けて曲輪群があるが、主郭部は特に技巧的な縄張りになっており、南北朝時代の遺構ではなく戦国時代頃の遺構と考えられる。
主郭部は北に虎口を開き横矢掛けとなる土塁や張り出しを備え、張り出しには石積が確認できる。さらに北から東西へ展開できないように竪堀や竪土塁を配して動きを抑えている。東下には広い腰曲輪があり、主郭の南端からは土塁が尾根の中央を通って延びているが、これは境界土塁である。ただ曲輪の淵部分はもともと土塁があったようで、南側は土塁に対して竪堀を落とし側面を警戒している。
主郭から南の副郭へ伸びた尾根には堀切があり、南峰の副郭は削平が甘い部分があるものの一部土塁が付いて虎口状になっている部分がある。
北にある高積山に高積神社があり、西麓の高積神社下ノ宮脇から参道が付いている。和佐山城はこの参道から分岐して城ヶ峰に通じている。
車は高積神社下ノ宮脇に駐める事ができる。
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