築城年代は定かではない。戦国時代に杉谷善住坊(萩原善住坊)が籠った城という。
杉谷善住坊の出自は定かではないが近江国甲賀五十三家の一つ杉谷氏に関係する人物ともされる。元亀元年(1570年)織田信長は越前朝倉氏を攻めた際に浅井長政に背後をつかれ「金ヶ崎の退き口」と呼ばれる京への退却戦を終えた。その後京より岐阜城へ戻る道として浅井氏の所領を避け、千草街道を伊勢国桑名に至る道を選んだ。この時、善住坊はこの織田信長を鉄砲で狙撃して暗殺を企て失敗した。暗殺の経緯は定かではないが六角義賢に依頼されたともいわれる。暗殺に失敗した善住坊は逃亡したが潜伏先の近江国高島郡で捕縛され、鋸挽きの刑に処せられた。
杉谷城は杉谷川の北岸、慈眼寺の北にある丘陵に築かれている。
北東に伸びた尾根上には土塁で囲まれた方形に近い曲輪が南北二列で北東に向かって連なっている。南北の曲輪の間に沿って水路跡のような亀裂が続いている。
慈眼寺が目印でその北側から山に入る所があるが慈眼寺が地図(カーナビなど)に載っていない可能性が有る。国道306号線が杉谷川に架かる橋を渡った直ぐの交差点を西へ曲る。その奥に見える丘陵が城山。南麓に慈眼寺がある。
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