伊勢 菰野陣屋いせ こものじんや

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (伊勢国/三重県) > 菰野陣屋
Tweet
伊勢 菰野陣屋の写真
掲載写真数
形態
陣屋
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
石垣,土塁,堀
城 主
土方雄氏,土方雄高,土方雄豊,土方豊義,土方雄房,土方雄端,土方雄年,土方雄貞,土方義苗,土方雄興,土方雄嘉,土方雄永,土方雄志
歴 史

慶長6年(1601年)土方丹波守雄氏によって築かれた。それ以前は滝川一益時代の代官所跡であったとされる。 土方雄氏は織田信長・信雄に仕えた土方雄久の長男で豊臣秀吉に仕えて三千石の所領があったが、秀吉没後のに徳川家康と本多正信が画策した「幻の家康暗殺事件」の容疑者として父土方雄久に連座して改易となった。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦直前に罪を許された雄氏は徳川家康の命で加賀の前田利家の説得にあたりその功で菰野一万二千石を与えられ大名に列した。

初代雄氏の時代の菰野陣屋は滝川一益時代の代官所跡を修築した程度で、雄氏は主に京の屋敷に住んでいたが、織田信雄の娘八重姫を正室に迎えるにあたって「堀もないような城の主には娘をやれない」といわれ二日間昼夜兼行で堀を設けてたという逸話が残っている。

陣屋の建物と城下町は二代土方雄高の時に整備された。また幕末の明治元年(1868年)には堀と二重の隅櫓を整備した。

説 明

現在菰野陣屋跡には菰野小学校が建っている。小学校の南側道路脇に案内板と石碑が建っている。遺構はほとんど残っていないが小学校の北西側、国道306号線付近に堀と土塁の一部が残っている。

城門が金蔵寺と光徳寺に移築され現存している他、隅櫓も菰野町大字池底の民家に移築されて残っているという。隅櫓は探してみたのだがわからなかった。

城門の写真

城門(移築 城門)


所在地: 金蔵寺(三重県三重郡菰野町大字小島)

城門の写真

城門(移築 城門)


所在地: 光徳寺(三重県いなべ市大安町石榑東)

案 内
最寄り駅(直線距離)
0.5km 中菰野駅
0.8km 菰野駅
1.4km 大羽根園駅
3.2km 湯の山温泉駅
3.4km 桜駅
所在地/地図
三重県三重郡菰野町大字菰野(菰野小学校)
付近の城(直線距離)
0.8km 伊勢 力尾城
1.2km 伊勢 宿野西城
1.8km 伊勢 宿野城
2.7km 伊勢 金ヶ原城
3.1km 伊勢 千種城
4.5km 伊勢 平尾城
5.4km 伊勢 杉谷城
6.0km 伊勢 中野城
6.3km 伊勢 保々西城
6.4km 伊勢 大久保城
6.8km 伊勢 市場城
6.8km 伊勢 田光城
7.2km 伊勢 下野城
7.3km 伊勢 西坂部城
7.4km 伊勢 山本城
7.5km 伊勢 切畑城
7.9km 伊勢 長深城
8.1km 伊勢 山田城
8.6km 伊勢 中上城
8.7km 伊勢 梅戸城
8.7km 伊勢 萱生城
8.8km 伊勢 小岐須城
9.5km 伊勢 大井田城
10.0km 伊勢 大木城
最終訪問日
2016年7月
TOP > > (伊勢国/三重県) > 菰野陣屋