築城年代は定かではないが永延年間(987年〜989年)に田光隼則によって築かれたと云われる。田光隼則は後に姓を梅戸と改めたという。
戦国時代に梅戸氏は近江国佐々木六角氏の六角高頼の四男高実を養子に迎え、梅戸左衛門尉高実(高貫とも)と名乗り、通行税を徴収するために梅戸城を築いたとされる。
梅戸高実は永禄4年(1561年)に没し、長男高宗は天文23年(1554年)に既に没していた為、次男実秀が家督を継いだ。しかし永禄11年(1568年)織田信長の北伊勢侵攻により滅亡したという。
田光城は田光川北岸、多比鹿神社の北背後の丘陵に築かれている。
主郭は広く周囲に石積を伴う土塁が巡っている。西尾根は空堀で断ち切り虎口を開いて土橋を架けている。虎口の南側に天守台と称する櫓台がある。虎口は他に南東隅と北側にあり、北側は右に屈折して入る構造になっている。
西虎口から出た尾根には土塁のような土盛で区画された屋敷跡のようなものがある。
主郭から南東の神社へ伸びた尾根にも数段の曲輪があり堀底道が続いている。
国道306号線沿いにある多比鹿神社を目指す。境内の裏から山へ通じる道がある。
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