築城年代は定かではないが永正2(1505年)頃に種付大蔵大夫高盛によって築かれたと云われる。 種付氏は近江国神崎郡種付郷発祥で、種付高盛は近江国佐々木六角氏の一族六角高成の孫にあたる。
大永2年(1522年)美濃国土岐大膳大夫道誉が北伊勢に侵攻し金井城を攻めた時、周辺の諸豪族は連合してこれに立ち向かい平古野で土岐軍を撃ち敗り、土岐道誉は自刃して果てた。
天文元年(1532年)には道誉の子、土岐掃部助が弔い合戦として金井城へ攻め寄せたが、この時も周辺の諸豪族が連合して戦い伏兵をもって撃ち敗り、土岐掃部助は討死した。
永禄11年(1568年)北伊勢に侵攻した織田信長に降伏した。元亀3年(1572年)に種付高盛は没し四男種付弾正左衛門秀政、さらにその長子種付千代次秀信が家督を継いだ。 天正4年(1576年)秀信は滝川一益に長島城へ出頭するよう命ぜられ謀殺された。
金井城は員弁川の河岸丘陵に築かれている。本丸は河岸丘陵に面し、北に二の丸、南に三の丸があったが現在は本丸の遺構が良好に残っている。
本丸は周囲に高土塁が巡り、北に土橋の架かった虎口が開く。土橋に面して東西隅部は北に張り出し横矢を掛けている。虎口はもう一つ西側に開いている。
員弁町西方の円願寺を目指す。円願寺の北側の道を西へ進むと橋本縫製があり、そこを南へ曲って突き当たりまで行くと駐車場がある。
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