寛元3年(1245年)藤原道家によって築かれたのが始まりとされる。 文明年間(1469年〜1487年)伊藤重晴が再び築城した。
元亀元年(1570年)一向宗願証寺の門徒が長島城を攻めて伊藤氏を滅ぼした。 更に一向宗は矢田城の滝川一益を追って、織田信長の弟興長を自刃される。
元亀2年(1571年)織田信長は大軍をもって長島城を攻めるが落とせず、退陣で殿を勤めた氏家卜全が討死した。 天正2年(1574年)三度目の長島城攻略によって落とすと、滝川一益を城主として北伊勢を領した。
天正11年(1583年)滝川一益は柴田勝家に味方して羽柴秀吉に敵対するが、勝家が秀吉によって滅ぼされると一益もまた攻められ、所領を没収された。その後は、天野景俊、原胤房、福島正頼が城主となる。
・慶長6年(1601年)福島正頼は大和国宇陀に転封。
・慶長6年(1601年)上野国阿保より菅沼定仍が二万石で入封、元和7年(1621年)定芳の時、近江国膳所に転封。
・慶安2年(1649年)下野国那須より(久松)松平康尚が一万石で入封、元禄15年(1702年)忠充の時、除封。
・元禄15年(1702年)常陸国下館より増山正弥が入封、以後明治に至る。
大手門(移築 城門)