築城年代は定ではない。城主は伊坂氏(春日部氏)で、萱生城主の萱生氏と同族である。
永禄11年(1568年)織田信長の北伊勢侵攻によって滅亡したとされるが、その後も織田信雄の家臣として伊坂氏が活動している。
伊坂城は現在の四日市jctの北西、伊坂ダムの東にある南東へ伸びた丘陵に築かれている。伊坂城は高速道路建設によって大きく損壊することとなり、東側の大部分が発掘調査された。これによって大きな櫓門などの遺構が検出されたようである。
伊坂城は伊勢の城館の特徴の一つである城郭部と屋敷部が一つの丘の上に形成された城で、南東の尾根先に屋敷部、北西の小高い部分に主郭があった。主郭は土塁が巡る方形の曲輪で、南に虎口があり、ここに櫓門が検出されたようである。消滅しない西側には腰曲輪や素堀の井戸などが残されている。
西にある伊坂ダムの駐車場に車を駐め、南の農道から東の谷へ降り登った先が城のある丘陵。
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