築城年代は定かではない。
平治年間(1159年〜1160年)には長田壱岐守平忠政、寿永年間(1182年〜1185年)には長田忠致が居たという。
その後は松浦党直谷城の志佐氏の城となり、代官真弓氏が居たという。志佐氏は壱岐に代官を置いて朝鮮貿易を行っていたが、文明4年(1472年)岸岳城の波多泰が壱岐へ侵攻、壱岐の松浦五氏(志佐氏、佐氏氏、呼子氏、鴨打氏、塩津留氏)の代官は覩城で防戦したが落城した。
覩城は微高地の端に位置した平城でかつて周囲は沼地であったという。現在周辺は水田であるが城跡とされる微高地が残されている。