肥前 岸岳城ひぜん きしだけじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (肥前国/佐賀県) > 岸岳城
Tweet
肥前 岸岳城の写真
掲載写真数
形態
山城(320m/310m)
別 名
鬼子城,鬼子岳城,吉志峯城,岸獄城
文化財指定
県指定史跡
遺 構
石垣,郭,堀,井戸
城 主
波多氏
歴 史

築城年代は定かではないが、波多氏によって築かれたと云われる。 波多氏の居城としては八幡神社の裏山に波多城がある。 波多氏は、源久の次男特を祖とする松浦党の一族で波多氏を名乗った。

16代波多盛が嫡子なく没すると、後室の妹の子を17代波多親として迎えたが、これに不満を抱いた重臣日高氏は岸岳城を乗っ取った。後室は龍造寺氏に岸岳城の奪還を依頼、日高氏は松浦氏に援軍を依頼したが、松浦氏の到着前に龍造寺氏が攻め寄せ、日高氏は岸岩城を破棄したという。

天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐で、島津寄りであった波多親は秀吉に謁見したものの、軍勢は送らなかった。これによって秀吉から不興を買ったが、鍋島直茂の取りなしによって所領は安堵された。しかし、文禄の役で鍋島氏の与力大名として渡海するものの、鍋島氏と行動をともにしようとせず軍令違反を犯してしまい、渡海中に所領を没収され徳川家康にお預け、常陸国筑波山麓へ配流となった。

説 明

岸岳城は標高320mの岸岳に築かれた山城で尾根に沿って全長1km程に遺構が残っている。現在は登山道が整備されており、主要な遺構には道標が設置されるなど見学し易くなっている。

主郭は岸岳の東に位置する標高320mの所で、低い石垣に囲まれた長い曲輪で北に一段の腰曲輪があり、虎口は南北に二ヶ所ある。この本丸から西の登山口に向かって、大手門跡、二の丸、三の丸と続き、北西の尾根先に伝旗竿石がある。櫓台や二の堀切、三左衛門殿丸、北山腹の帯曲輪など一部に高石垣があるが、多くの石垣は1mに満たない低いものである。

岸岳城は二の堀切から石垣造りの遺構が始まる。二の堀切は高石垣になり、城内側は両側に張り出す形になっており、もともとは木橋が架けられていたであろう。城内側に入ると少し奥に虎口がある。

伝大手門は南側に向かって方形に窪んだ虎口があり、降りて行くと両側に石垣造りの帯曲輪がある。伝大手門から主郭の北西下の方に向かって降りて行くと、岸岳城でもっとも有名な櫓台の石垣がある。ここからさらに北へ進んでいくと、主郭の東端から北に向かって伸びた尾根に展開する曲輪群に至る。ここは巨大な竪堀があり、それに沿って段曲輪を展開しており、一部石垣が残る。

石垣の櫓台から北山腹に降りると高石垣の帯曲輪があり、中央部がコの字に凹んだ石垣を見ることができる。

本丸から北東の尾根下に降りると「三左衛門殿丸」と呼ばれる石垣造の腰曲輪があり、そこから尾根先に向かう遊歩道を進むと「伝抜け穴」や「伝姫落し岩」といった史跡に至る。

案 内

波多城の登り口である八幡神社から車道があり、要所要所に道標があるので迷わず駐車場まで到達できる。駐車場からの比高は130m程である。

最寄り駅(直線距離)
1.5km 西相知駅
2.1km 肥前久保駅
2.1km 佐里駅
2.5km 本牟田部駅
4.0km 相知駅
所在地/地図
佐賀県唐津市北波多稗田
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
1.4km 肥前 大谷城
2.0km 肥前 久保館
2.3km 肥前 牟田部館
2.4km 肥前 波多城
2.7km 肥前 山崎城
3.1km 肥前 相知氏館
3.3km 肥前 中山氏館
3.4km 肥前 日高地山城
3.4km 肥前 伊岐佐山陣
3.5km 肥前 青山城
3.8km 肥前 田中城
3.9km 肥前 双水城
4.2km 肥前 梶山城
4.7km 肥前 池田城
4.9km 肥前 大川野構館
4.9km 肥前 畑島城
5.2km 肥前 権現山城塞
5.3km 肥前 日在城
5.5km 肥前 長部田城塞
5.5km 肥前 重橋本城
5.6km 肥前 上戸城
5.9km 肥前 構屋敷城
6.0km 肥前 大川野南氏館
6.9km 肥前 法行城
最終訪問日
2016年12月
TOP > > (肥前国/佐賀県) > 岸岳城