文保元年(1317年)頃に長倉義綱によって築かれたと云われる。 長倉氏は佐竹行義の次男義綱が長倉に住んで長倉氏を称した事に始まる。
応永15年(1408年)佐竹宗家の跡目を巡り、佐竹一族の長倉、山入、額田氏らが挙兵して長倉義景は長倉城に籠ったが、足利持氏の派遣した大軍に囲まれ開城した。
文禄4年(1595年)長倉義興のとき柿岡城へ転封となり、長倉氏はこの地を去った。
長倉城は蒼泉寺の北東にある標高130mほどの山に築かれている。現在登山道が整備されている。
主郭はかなり広く概ね東西二段ほどで東が高く、南東側に土塁が残る。北東側には横堀があり、その両端は竪堀として落ちている。さらに周囲に帯曲輪や竪堀の遺構を確認することができるが、大半は藪に埋もれ、南側は特に重機によって作り出された山道が城の遺構を破壊して続いており、旧状を復元することが困難な状態である。
蒼泉寺の東側に入口がある。
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