慶長15年(1610年)細川興元によって築かれた。 細川興元は細川幽斎の次男で豊前国小倉藩主細川忠興の弟にあたる。興元は兄忠興と不仲であったため関ヶ原合戦後に京に隠棲していた。慶長15年(1610年)徳川秀忠に見いだされ、下野国芳賀郡に一万石を与えられて大名に列し、茂木庄に陣屋を築いて茂木藩を立藩した。
大坂冬の陣、夏の陣ともに酒井忠世に属して戦い、特に大坂夏の陣では酒井忠行とともに軍功を挙げ、元和2年(1616年)常陸国筑波・河内二郡に六千二百石の加増を受けた。 興元は参勤交代の便から陣屋を常陸国谷田部に移したが、茂木陣屋はそのまま茂木支配の為に維持された。
明治4年(1871年)谷田部の知事細川興貫は藩庁を茂木に移したが、同年7月に廃藩置県によって廃藩となっている。
茂木陣屋は現在の茂木町役場の南西側一帯に築かれていた。 現在遺構はなく、茂木町町民センターの北西の一角に陣屋跡を示す石碑が建っているのみである。
陣屋絵図によれば、茂木陣屋は逆川を挟んで東西に広がっており、現在の茂木小学校の北側の道路を東に進んだ所に架かる御本陣橋は通称「殿橋」と呼ばれた。
茂木小学校の北側の道路を東へ進んで橋を渡り、最初の交差点の南東側に石碑がある。
最寄り駅(直線距離)