築城年代は定かではない。もともと千本城の大手で家臣の屋敷があったところと云われ、江戸時代初期に大身旗本で3370石を領した千本氏の陣屋となった。
千本氏は那須七騎の一人千本城主であったが、直系は天正13年(1585年)資俊・資政父子が大田原氏に誘殺され絶え、その名跡は茂木氏から養子となった義隆が継いでいた。
千本氏は寛永10年(1633年)千本義等が嫡子なく夭折したため改易となったが、後に弟和隆が200石(のちに1050石)で再興となり、明治まで続いている。なお、千本氏は江戸常駐の旗本であったが、初期は交代寄合であったとも云われはっきりしない。
千本陣屋は千本城南の大手、大門に築かれており、現在は町指定史跡として整備されている。
南の道路沿いに千本陣屋の標柱がたっている。ここから北へ入ると陣屋跡がある。案内板のところに陣屋の石垣があり、この部分に表門(四脚門)があった。