永和4年(1378年)村上新助良藤によって築かれたと云われる。 村上氏は益子氏の一族で、良藤が築城したのち村上丹波守則光、村上丹波守光義と三代にわたる居城であったと伝えられる。
村上城は桜川東岸の標高172.2mの観音山山頂に築かれている。
村上城は千本城主千本氏との所領の境にあるため、居城というよりは境目の城の位置付けが強いようで、山頂にある本丸もそれほどきちんと削平されているわけではない。
本丸を取り巻く土塁は北端の部分が幅広で櫓台とみられ、南にある大手口は折れを設けて横矢を掛ける構造になっている。土塁の外側は横堀になっており、北から東側はその外側に腰曲輪状のやや平坦な曲輪が二段取り巻き、外側に土塁を設けている。
市貝町側から見ると「観音山梅の里」「村上城跡」というでっかい看板がある。
最寄り駅(直線距離)