中世には岡見氏の谷田部城があったという。
谷田部藩は細川幽斎の次男細川興元が初代である。興元は兄細川忠興と不仲であったことから出奔し、後に下野国茂木で一万石を賜り大名となった。元和2年(1616年)には大坂の陣の功により六千二百石を加増され一万六千二百石の大名となった。これによって谷田部陣屋を築き、参勤交代の便から後に茂木より谷田部を本拠とするようになった。以降、細川氏が九代続いて明治に至る。
明治4年(1871年)谷田部の知事細川興貫は藩庁を茂木に移したが、同年7月に廃藩置県によって廃藩となっている。
谷田部陣屋は現在の谷田部小学校の辺りに築かれていた。小学校の前に谷田部陣屋跡の案内板が設置されているが遺構はない。しかし、正面にある公民館には陣屋御殿の玄関が移築現存している。
御殿玄関(移築 御殿)
城門(移築 城門)