文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,横堀
城 主
岩瀬与一太郎,白石義満,関次郎左衛門
歴 史
詳細不明。下岩瀬館と同様に岩瀬与一太郎の館跡と伝えられる。岩瀬与一太郎は吾妻鏡に佐竹氏の家人として登場する。
後に貞和元年(1345年)に南朝方に属して討死したという白石志摩守義満や関次郎左衛門の居城とも伝えられる。
説 明
岩瀬城は現在の誕生寺のあたりに築かれており、久慈川に隣接した微高地にあった。
誕生寺境内の南北両側に高土塁があり、南側の土塁は墓地でその背後に堀がある。
案 内
最寄り駅(直線距離)
2.1km 静駅
2.8km 瓜連駅
4.2km 常陸大宮駅
5.9km 常陸鴻巣駅
6.4km 河合駅
主な参考文献
茨城県の中世城館(茨城県教育委員会)
常陸大宮市史-資料編2-古代・中世
所在地/地図
最終訪問日
2025年11月