播磨 明石城はりま あかしじょう

城郭放浪記


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播磨 明石城の写真
掲載写真数
形態
平山城(20m/20m)
別 名
喜春城,錦江城
文化財指定
国指定史跡
遺 構
櫓,石垣,土塁,郭,堀
城 主
戸田庸直,戸田光重,大久保忠職,(藤井)松平忠国,松平信之,本多政利,(越前家)松平直明,松平直常,松平直純,松平直泰,松平直之,松平直周,松平斉韶,松平斉宣,松平慶憲,松平直致
歴 史

元和5年(1619年)小笠原忠真によって築かれた。 元和3年(1617年)信濃国松本城から十万石で船上城に入った忠真は幕府の命で明石城を築いた。築城は幕府と共同で行われ、本丸の西に天守台が設けられたが、天守があがることはなかった。

和暦(西暦) 事象
寛永9年(1632年) 小笠原忠真は五万石を加増され十五万石で豊前国小倉に移封。
寛永10年(1633年) 信濃国松本より戸田康直が七万石で入封。
寛永16年(1639年) 戸田光重は美濃国加納へ転封。 美濃国加納より大久保忠職が七万石で入封。
慶安2年(1649年) 大久保忠職は肥前国唐津へ転封。 丹波国篠山より(藤井)松平忠国が七万石で入封。
万治2年(1659年) 松平信之が家督相続のとき五千石を弟信重に五千石を分知して六万五千石。
延宝7年(1679年) 松平信之は大和国郡山に転封。 大和国郡山より本多政利が六万石で入封
天和2年(1682年) 本多政利は過酷な政策を強いた罪により陸奥国大久保に転封。 越前国大野より(越前家)松平直明が六万石で入封。以後明治まで代々続く。

説 明

明石城は明石川河口に面した丘陵に築かれており、現在は「兵庫県立明石公園」として整備されている。

明石城は本丸の東に土橋で繋がった二の丸、東の丸。西下には西の丸(稲荷曲輪)があり東西に並んでいる。これらを取り囲むように三の丸があり外堀が巡っている。

本丸には四基の隅櫓があったが、現存しているのは坤櫓と巽櫓の二基である。それぞれ三重櫓で坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城からの移築と伝えられている。

坤櫓の写真

坤櫓(現存 櫓)

三重三階
国指定重要文化財
伏見城の遺構と伝わる

巽櫓の写真

巽櫓(現存 櫓)

三重三階
国指定重要文化財
船上城の遺構

切手門の写真

切手門(移築 城門)


所在地: 月照寺(兵庫県明石市人丸町)
伏見城の門を明石城の切手門として移築された。明治6年に現在地に移築された。
案 内

明石駅の北側がすぐ城内。駐車場は西入口の所に有料駐車場がある。

最寄り駅(直線距離)
0.4km 明石駅
0.5km 山陽明石駅
1.0km 西新町駅
1.2km 人丸前駅
1.7km 大蔵谷駅
所在地/地図
兵庫県明石市明石公園
付近の城(直線距離)
1.6km 播磨 船上城
2.3km 播磨 枝吉城
2.8km 播磨 下津橋城
4.3km 摂津 明石藩舞子台場
4.6km 播磨 脇村構居
5.0km 淡路 松帆台場
5.2km 淡路 岩屋城(まないた山城)
5.4km 播磨 福中城
6.1km 播磨 小寺城
7.0km 播磨 池谷城
7.6km 淡路 岩屋城(絵島ヶ丘城)
8.3km 播磨 魚住城
8.7km 播磨 城ヶ谷城
8.8km 播磨 福谷城
8.8km 播磨 太山寺城
9.1km 播磨 魚住古城
9.8km 播磨 伊川城
最終訪問日
2015年1月
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