文禄元年(1592年)豊臣秀吉によって築かれたのが始まりで、当初は南方の指月山に築かれていたと云われる。慶長の大地震で倒壊したため、北方の木幡山に本丸を移して再建された。
秀吉が没すると徳川家康の管理下になり、関ヶ原合戦の前哨戦では城将鳥居元忠が奮闘し壮絶な死を遂げている。 関ヶ原合戦後、一度は再建されたが二条城を修築したことにより、元和9年(1623年)廃城となった。このとき天守は二条城へ移築、櫓は備後国福山城や江戸城などに移築され現存している。
伏見城の主要部は現在明治天皇陵などになっており、立ち入ることはできない。かつて伏見桃山城キャッスルランドという遊園地があり、ここに模擬天守が建てられている。この場所は得善丸の西側にあたる。遊園地自体は閉園となっているが、その跡地には現在立ち入ることができる。