承久3年(1221年)長瀬左衛門によって築かれたと云われる 。
この辺は秀吉が宇治川の流れを付け替えるまでは、中洲になっていたと考えられている。 承久の乱では後鳥羽上皇方は長瀬左衛門を置いて守備させた。
明応8年(1499年)畠山義就と政長がの対立が激しくなり、宇治・槇島合戦では細川政元の軍勢によって落城、その後は細川氏の居城となった。 天正元年(1573年)足利義昭が織田信長に叛旗をひるがえして槇嶋城に立籠ったが信長に攻め立てられ開城した。
槇嶋城は槇島公園の南側にある住宅地の辺りで遺構はない。槇島公園にも案内板や石碑があるが、住宅地の中にある小公園にも案内板と石碑が建てられている。