備後 福山城びんご ふくやまじょう

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > > (備後国/広島県) > 福山城
Tweet
備後 福山城の写真
掲載写真数
形態
平城(28m/25m)
別 名
久松城
文化財指定
国指定史跡
遺 構
天守,櫓,城門,土塀,石垣,曲輪,井戸,虎口
城 主
水野勝成,水野勝俊,水野勝貞,水野勝種,水野勝岑, 松平忠雅, 阿部正邦,阿部正福,阿部正右,阿部正倫,阿部正精,阿部正寧,阿部正弘,阿部正教,阿部正方,阿部正桓
歴 史

元和6年(1620年)水野勝成によって築かれた。 元和5年(1619年)安芸国広島の福島正則が改易となると、大和国郡山より水野勝成が十万石で入封する。水野氏は5代勝岑が元禄11年(1698年)夭折して改易となる。

水野氏改易後は一時天領となり、讃岐国丸亀藩京極氏が城番を務めた。

元禄13年(1700年)出羽国山形より(奥平)松平忠雅が十万石で入封するが、宝永7年(1710年)伊勢国桑名に転封となる。

宝永7年(1710年)下野国宇都宮から阿部正邦が十万石で入封し、以後明治に至る。

説 明

福山城はJR福山駅のすぐ北側にあり、現在は福山城公園として整備されている。

福山城は本丸の周りを二ノ丸、さらに三ノ丸が取り囲む縄張りであった。本丸の北側に一段高く天守曲輪があり、その上に五重五階地下一階の天守が建つ。福山城は北側からの防御に不備があり、北側からの砲撃を防御するために天守の最上階を除き、北面には黒い鉄板が敷かれていた。以前の天守にはこの鉄板が施されていなかったが、令和の大普請によって鉄板が復元され在りし日の姿に近づいた。

本丸の南西にある伏見櫓と筋鉄御門は、伏見城から移築したと伝えられる。

福山城は天守をはじめ月見櫓、鏡櫓、湯殿などが再建されているが、いずれも福山駅方面からの見栄えを考慮したものと思われる。これらをよく見るには福山駅の入場券を購入し、上りの新幹線プラットホームに行くことで、伏見櫓や福山城の石碑を正面から見ることができる。

伏見櫓の写真

伏見櫓(現存 櫓)


所在地: 城内本丸西南隅
三重三階 望楼型
元和8年(1622年)伏見城松の丸東やぐらを移築
国指定重要文化財

鐘櫓の写真

鐘櫓(現存 櫓)


所在地: 城内本丸
市指定重要文化財
現在全国で唯一本丸に現存する鐘櫓

筋鉄御門の写真

筋鉄御門(現存 櫓門)

入母屋造 本瓦葺 脇戸付
伏見城から移築と伝わる
国指定重要文化財

内藤家長屋門の写真

内藤家長屋門(移築 長屋門)

入母屋造 桟瓦葺
弘化3年(1846年)建立 昭和51年城内へ移築
市指定重要文化財

岡本家長屋門の写真

岡本家長屋門(移築 長屋門)


所在地: 岡本家(広島県福山市鞆町鞆)
市指定重要文化財
月見櫓の写真

月見櫓(復元 櫓)


所在地: 城内本丸南東隅
伏見城の櫓を移築 明治初期に破却
1966年再建

湯殿の写真

湯殿(復元 その他)

伏見城から移築
戦災により焼失 1966年再建

鏡櫓の写真

鏡櫓(復元 櫓)

二重二階 層塔型
1619年建立 1873年破却
1973年に再建
写真左下。現在は文書館となっている

天守の写真

天守(復興 天守)


所在地: 城内本丸
五重五階地下一階 層塔型 二重三階付櫓付き
元和8年(1622年)建立 昭和20年(1945年)戦災により焼失
1966年再建
北側には鉄板が張られ大砲に対する防御がなされていたが現在は付いていない
案 内
最寄り駅(直線距離)
0.2km 福山駅
1.5km 備後本庄駅
3.4km 横尾駅
4.1km 東福山駅
5.4km 神辺駅
所在地/地図
広島県福山市丸之内1
付近の城(直線距離)
1.9km 備後 神島城
2.1km 備後 佐波城
2.3km 備後 中山城(福山市)
3.0km 備後 的場山城
3.4km 備後 小森館
3.6km 備後 片山城
4.1km 備後 梶島山城
4.2km 備後 山手銀山城
4.4km 備後 手城山城
4.4km 備後 宇治山城
4.6km 備後 石淵城
4.7km 備後 串山城
5.1km 備後 別所城
5.4km 備後 矢ノ島城
5.6km 備後 近江城
5.7km 備後 神辺城
6.2km 備後 安井城
6.3km 備後 中山田城
6.5km 備後 古城山城
6.7km 備後 赤柴城
6.7km 備後 川上城
7.2km 備後 神村城
7.2km 備後 正戸山城
7.3km 備後 枝広城
最終訪問日
2022年7月
TOP > > (備後国/広島県) > 福山城