元和6年(1620年)水野勝成によって築かれた。 元和5年(1619年)安芸国広島の福島正則が改易となると、大和国郡山より水野勝成が十万石で入封する。水野氏は5代勝岑が元禄11年(1698年)夭折して改易となる。
水野氏改易後は一時天領となり、讃岐国丸亀藩京極氏が城番を務めた。
元禄13年(1700年)出羽国山形より(奥平)松平忠雅が十万石で入封するが、宝永7年(1710年)伊勢国桑名に転封となる。
宝永7年(1710年)下野国宇都宮から阿部正邦が十万石で入封し、以後明治に至る。
福山城はJR福山駅のすぐ北側にあり、現在は福山城公園として整備されている。
福山城は本丸の周りを二ノ丸、さらに三ノ丸が取り囲む縄張りであった。本丸の北側に一段高く天守曲輪があり、その上に五重五階地下一階の天守が建つ。福山城は北側からの防御に不備があり、北側からの砲撃を防御するために天守の最上階を除き、北面には黒い鉄板が敷かれていた。以前の天守にはこの鉄板が施されていなかったが、令和の大普請によって鉄板が復元され在りし日の姿に近づいた。
本丸の南西にある伏見櫓と筋鉄御門は、伏見城から移築したと伝えられる。
福山城は天守をはじめ月見櫓、鏡櫓、湯殿などが再建されているが、いずれも福山駅方面からの見栄えを考慮したものと思われる。これらをよく見るには福山駅の入場券を購入し、上りの新幹線プラットホームに行くことで、伏見櫓や福山城の石碑を正面から見ることができる。
伏見櫓(現存 櫓)
鐘櫓(現存 櫓)
筋鉄御門(現存 櫓門)
入母屋造 本瓦葺 脇戸付内藤家長屋門(移築 長屋門)
入母屋造 桟瓦葺岡本家長屋門(移築 長屋門)
月見櫓(復元 櫓)
湯殿(復元 その他)
伏見城から移築鏡櫓(復元 櫓)
二重二階 層塔型天守(復興 天守)