築城年代は定かではないが勝蓮華氏(青蓮華/正蓮華)によって築かれたと云われる。 青蓮華氏は朝倉氏の庶流で、館主として勝蓮華右京進景継、勝蓮華近江守景基の名が伝えられる。
石碑によれば、朝倉敏景とその子孫、勝蓮華右京進以下数代にわたって居館とし、天正元年4月(1573年)に越前に侵攻した織田信長によって滅ぼされたという。
地籍図によれば、堀が巡らされた方形居館と西側にも堀跡があり、副郭の館であったようだ。現在は宅地や水田となって遺構はないが、集落の外れに青蓮華館跡の碑が建てられている。
石碑は諏訪神社から北へ120m程行った所に西へ進む道があり、それを70m程入った所にある。
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