築城年代は定かではない。城主は朝倉氏の家臣伊勢帯刀と伝えられる。
伊勢氏の出自は詳らかではないが、永正3年(1506年)越前に侵攻した加賀一向一揆を迎え撃った朝倉勢の「河北ノ衆」と、天文21年(1552年)朝倉宗滴を大将として加賀へ侵攻した際に堀江氏以下坂井郡を中心とした国人衆の中に伊勢氏を見ることができる。
清永館は圓成院一帯に築かれていた。 地籍図によれば圓成院の南東一帯に土塁を確認することができる。
現在土塁のあった所は道路や宅地・畑となっていて明確な遺構はない。北方の白山神社境内にある石塔は天文18年建立のもので、「天文18年2月 白山 願主□□兵尉」と刻まれているという。実際□□の部分も読めそうな雰囲気があるが、どうなんでしょうか。