築城年代は定かではないが桑原氏によって築かれたと云われる。 桑原氏は坪江上ノ郷を本拠とした国人領主で、興福寺の荘園の代官と関わりがあったとみられている。
文明11年(1479年)京都清水寺を再興する勧進奉加帳に桑原次郎右衛門尉貞久の名が残る。
桑原館は現在の桑原集落の大半を占める規模であった。日本城郭大系には地籍図とともに現存していた堀跡などの写真が掲載されている。
この地籍図をもとに現在の集落内を散策すると、わずかに土塁跡を確認することができるが、堀跡と見られる部分は大半が埋め立てられてしまっている。