建武4年(延元2年、1337年)足利高経に伴って但馬国より朝倉広景が来住し、黒丸城に居城したのが始まりとされる。
朝倉氏は斯波(足利)氏の被官として成長し、文明年間(1469年〜1487年)の朝倉孝景(英林)のとき一乗谷城へ移り、後に越前守護となっていった。
大黒丸城は九頭龍川に面した微高地に築かれていた。福井県の埋蔵文化財地図によれば、その領域は三宅町の南西部の一角となっているが、現在大黒丸城の案内板が設置されているのは北側の小公園の一角である。
遺構は一部土塁と空堀があるようで、小公園の社が祀られている部分が土塁となるのであろうか。その脇には古い石塔群がある。