築城年代は定かではない。館主は朝倉氏の家臣乙部(南部)勘解由左衛門義綱と伝えられる。義綱は永正4年(1507年)に朝倉貞景が一向一揆を敗った後は、志比庄東部を治めるため、藤巻館に移されたという。
地籍図によれば堀に囲まれたやや南北に長い方形居館が確認できる。またその西側には「城屯」という地名が残されている。
中角館は旧白山神社の境内の北側にあったという。白山神社は九頭竜川の河川改修によって現在の地に移転しており、もとは60m程南にあったという。これを考慮すると中角館は現在宅地となっている辺りにあったものと思われる。