築城年代は定かではないが正保2年(1645年)頃に松平昌勝によって築かれたと云われる。 昌勝は三代福井藩主松平昌親の長男で正保2年(1645年)昌親が没して嫡男松平光通が家督を継いだ時、五万石を分地されて越前松岡藩を立藩した。昌勝は長男ではあるが妾腹であったため、家督は嫡子である光通が継いでいる。
元禄6年(1693年)昌勝が没すると松平昌平(宗昌)が家督を継いだが、享保6年(1721年)福井藩主松平吉邦が没し、昌平が本家の家督を継ぐ事となった為、松岡藩は廃藩となった。
現在遺構は残っていない。廃藩後は「明屋敷」と呼ばれる畑となったそうであるが、現在は民家が建ち並んでおり、案内板が設けられ松岡藩の名残とされる「お館の椿」がある。
国道416号線永平寺町役場の西にある春日交差点を北に曲って県道110号線に入り線路を渡る。この先で道は二俣に分かれるが、その手前の道を西へ曲り葵一丁目会館の方へ進んで行くと右手の民家に案内板が設置されている。
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