築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に朝倉正景によって築かれたと云われる。 朝倉氏景の次男正景が東郷庄の庄官となり槇山城を居城にした。
天正12年(1584年)長谷川秀一が城主となるが秀一は文禄の役で朝鮮で病没、再び丹羽氏の所領に戻った。関ヶ原合戦で西軍に組した丹羽氏は改易となり廃城となった。
東郷槇山城は標高122mの城山に築かれており、現在は公園として整備されている。
主郭は天守閣跡と表示されている所で「城台」と呼ばれ、東側面にある林道沿いにわずかに石垣が残されている。主郭の南下、現在の公園駐車場の部分が二の丸、さらに南に小高く「千畳敷」がある。千畳敷は南端に高土塁と堀切があり、その先にある林道の部分も堀切であった。
東郷槇山城の大手は北の三社神社と考えられ、ここに大手口の標識がある。ここから谷間の遊歩道を上ると南の主郭部と北の北曲輪群との間に出てくる。
北曲輪群は低い段差の曲輪群を南北、そして東西に伸びた尾根に配している。ほぼ段曲輪のみであるが、北端から東へ伸びた尾根先に堀切が一条ある。
車の場合、西にある林道から二の丸の駐車場まで上がることができる。徒歩の場合、北の三社神社にある大手口から続く遊歩道を利用するのが良いだろう。
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