詳細不明。城主は前波氏で朝倉氏の重臣であった。
前波吉継は織田信長に内通して朝倉氏の滅亡に加担し、その後は信長に越前一国を任され桂田長俊と名乗った。しかし、富田長繁と対立して滅亡している。
成願寺城は成願寺町の北背後に聳える標高214.0mの山に築かれている。成願寺城は三角点のある山頂(上の城)とそこから西へ伸びた尾根先にある下の城がある。
成願寺城の上の城は三角点のある山頂部に堀切を挟んで東西二郭あり、東の主郭は分厚い土塁で囲まれた小さな曲輪である。この東西二郭の主郭部を東は二重堀切、西は弓形状になった堀切と竪堀、南側面には畝状竪堀群を設けるなど厳重に遮断している。
主郭部から東へ続く尾根には古墳の周濠と堀切が混ざりながら続いている。西尾根も同様であるが、土橋の架かった大きな堀切、北へ続く尾根の先端には堀切が確認できる。
主郭部の南下には波着寺跡があり、山岳寺院の上に中世山城が存在している。
成願寺ふれあい会館の駐車場が利用できる。そのすぐ前に波着寺と成願寺城の案内板があり、その地図にある道を登って行くと波着寺跡に達する。そこから右奥を目指せば尾根上に至る山道がある。
最寄り駅(直線距離)