築城年代は定かではないが宝暦9年(1759年)〜明和4年(1767年)頃の間に金森可秀によって築かれた。 可秀は金森左京家四代当主で三千石を領した旗本交代寄合である。
金森左京家は元和元年(1615年)飛騨高山藩主二代金森可重の時、五男金森重勝に三千石を分地し金森左京屋敷に居住したことに始まる。宗家の金森氏は宝暦8年(1758年)4月金森頼錦の時、美濃国郡上八幡で宝暦騒動の責任を問われ改易となったが、金森左京家は存続を許された。宝暦9年(1759年)越前国南条郡白崎村・清水村・牧谷村、越前国今立郡大手村・西尾村・上大坪村・萱谷村の七ヶ村で約三千石を賜わり、白崎村に陣屋を築いた。金森左京家は以後、旗本交代寄合として明治に至る。
白崎陣屋は現在整備はされていないものの、案内板や石碑が建てられている。 陣屋跡は人工林となっているが、虎口らしきものと土塁が残っている。
国道8号線から「しきぶ温泉湯楽里」を目指すと良いだろう。湯楽里の東の丘陵が白崎陣屋跡で南東側に案内板と石碑が建っている。
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