継体天皇の宮跡とも伝えられる。
応永25年(1419年)足利義満の子義嗣が上杉禅秀の乱に連座して自殺し、その子嗣俊が越前に逃れて鞍谷館に住み鞍谷公方と呼ばれた。
室町時代後期には越前に勢力を張った朝倉氏が名目上の守護として斯波義俊を迎え、鞍谷氏の女を娶せて鞍谷氏を相続させた。朝倉氏が滅亡した後、鞍谷氏は小丸城主となった佐々成政に従ったと云う。
鞍谷御所は武衛山の北麓にある味真野神社一帯に築かれている。神社の境内周辺に土塁と堀が残っている。
隣接する万葉の里味真野苑に駐車場、トイレがある。
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