天正3年(1575年)佐々成政によって築かれたと云われる。
天正3年(1575年)越前を再び平定した織田信長は北庄城に柴田勝家を置くとともに、越前府中に前田利家・佐々成政・不破光治を柴田勝家の目付として配置した。 府中城には前田利家、小丸城には佐々成政、龍門寺城に不破光治が入り合わせて十万石を領した。
天正9年(1581年)成政は越中国富山へ移り廃城となった。
小高い丘の上に本丸を築き周囲に堀が巡らされている。南にある野々宮廃寺も城域であった。本丸には虎口や石垣が残っている。
昭和7年に出土した前田利家による一向一揆勢の処刑の様子を記した瓦片は著明である。