出羽 神宮寺館でわ じんぐうじたて
△トップに戻る
築城年代は定かではない。城主は大曲城主前田利信の弟又三郎で、神宮寺掃部介と称した。
天正17年(1589年)神宮寺掃部介は戸沢氏に従って安東氏の内紛のために出陣して討死したというい。
神宮寺館は奥羽本線が館を南北に分断するように貫通しているようであるが、南からみると一段高い土壇として確認できる。
標柱は南西隅部付近に建てられておりわかりにくい。