築城年代は定かではないが
鷹尾城主田尻氏の支城で津留因幡守の居城である。
天正9年(1581年)
柳河城主蒲池鎮漣は龍造寺隆信に猿楽の催しに誘われ、佐嘉に赴いた所を謀殺される。
田尻氏は蒲池と同族であったが、龍造寺氏に従い蒲池氏一族を滅亡に追いやった。
しかし天正10年(1582年)田尻氏は龍造寺氏に反旗を翻し、本城の
鷹尾城を中心に
江浦城・
浜田城・津留城・堀切城の各支城を固めた。
この時津留城には一族の田尻鎮直が入城したという。
龍造寺氏は直ちに軍を発し攻め寄せたが落とせず、一部の兵をもって支城を攻略させたが失敗し一年余りの籠城の末、有馬氏が島津氏と組み肥前侵攻する気配があった為、和議を結び引き上げた。