築城年代は定かではないが田尻氏によって築かれたと云われる。
田尻氏は大蔵姓で筑前原田氏、秋月氏、筑後高橋氏などと同じ先祖に繋がり、初代は田尻実種とされる。
田尻城は代々田尻氏の居城であったが、天文17年(1548年)田尻親種が鷹尾城を築いて移ったという。
田尻城は森山宮の背後にある標高90mほどの山に築かれている。
城域を含む山全体が農地などで改変されており、遺構の残存具合は非常に悪い。
主郭となる山頂部は南北に細長い曲輪で、幅は10mほどしかないが、中央に土塁状の高まりがあり、三段の細長い形状になってしまっている。曲輪の南北両端には堀切があり、南は少し離れたところにもう一条、計三条の堀切は確認できる。
森山宮の参道入口に駐車可能。森山宮から荒廃した竹林を登っていく。
最寄り駅(直線距離)