詳細不明。城主は溝口常陸介、溝口帯刀が伝えられる。
小田城は標高214mの山に築かれている。非常に土木量の多い山城で南側に設けられた多重の横堀はこの辺りでは珍しく貴重な山城である。
主郭Iは山頂にあって南北に長くほぼ土塁で囲んでいる。南側には塚のような高まりが残る。南下に曲輪IIがあり、こちらもほぼ土塁囲みで、西側に曲輪IIIに通じる虎口を開く。
曲輪IIIは曲輪IIを取り囲むようになった帯曲輪で、石積を伴う土塁が巡る。南側に開口するが、虎口かどうか判然としない。本来の虎口は北側と推測され、竪堀を下って北東の水場のあたりに繋がっていたと思われる。土木量の多い城ではあるが、曲輪の規模はそれほど大きくはない。
城の南半分は多重の横堀が巡らされており、岩盤を垂直に削ったようなところもあって圧巻である。横堀の両端は竪堀群に接続する。
東側の横堀の間には緩斜面地形があり、ここに畝状竪堀群10を設けている。ここには石室が露出した二基の古墳を確認することができる。
城の北東部分は小さな腰曲輪IVの周辺から竪堀群6を設けている。北へ続く尾根は二重堀切と大きな堀切1で遮断している。
城の北西部分は明確な堀はないが、下方には竪堀地形が少し確認できる。
西と東の谷から農道が近くまで上がっているが、あまり使われておらず荒廃している。西の谷からのほうが登りやすい。
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