天正15年(1587年)高橋直次によって築かれた。 直次は関ヶ原合戦で兄立花宗茂とともに西軍に属した為に改易となったが、慶長19年(1614年)常陸国柿岡で五千石を与えられた。 その子種次は元和7年(1621年)五千石を加増されて一万石で三池に移封となり陣屋を構えた。
文化2年(1805年)六代藩主立花種周は老中松平定明らとの政争に敗れて失脚し、蟄居謹慎を命ぜられた。わずか十三歳で家督を継いだ七代種善は文化3年(1806年)陸奥国下手渡に転封となった。
嘉永4年(1851年)九代種恭のとき、下手渡の所領のうち三千石余りを幕府に返上し、代わりに筑後国三池に五千石を与えられた。
三池陣屋は現在の三池小学校の辺りに築かれていた。小学校の西に三池郷土館という荒廃した建物があるが、その東側に付いている尾根が陣屋の御殿の一部である。その西側には陣屋井戸、南に進んでいくと三池藩居館跡の案内板や陣屋遺構である石段、さらに川には陣屋の大手口である眼鏡橋が残っている。
眼鏡橋(現存 橋)
表門(移築 城門)
玄関(移築 その他)