築城年代は定かではないが文化3年(1806年)頃に立花種善によって築かれた。
立花種善は筑後国三池藩主六代立花種周の嫡男で、父種周が蟄居謹慎となったため十三歳で家督を継いだ。これにより三池から下手渡へ転封となり、この天平の地に陣屋を築いたのが下手渡陣屋の始まりである。
嘉永4年(1851年)九代種恭のとき、下手渡の所領のうち三千石余りを幕府に返上し、代わりに筑後国三池に五千石を与えられた。
下手渡陣屋は広瀬川東岸の微丘陵に築かれていた。現在陣屋のあった辺りは宅地や畑などとなっており、その一角に下手渡藩陣屋の案内板や石碑などが建てられている。
遺構はあまり残っていないようであるが、案内板のある所から東へ進んだ所に陣屋井戸がある。また西へ降りて行くと広瀬川に面した高台に東屋があり、展望台になっている。この辺りは石垣や通路などがあり、陣屋の名残を留めているのかもしれない。
国道349号線沿いに下手渡陣屋への道標が建っている。ここから続く車道を登っていけば案内板と石碑があり駐車場もある。