築城年代は定かではないが須田氏によって築かれたと云われる。
須田氏は伊達氏の譜代家臣であったが、天正18年(1590年)伊達政宗が蒲生氏郷とともに大崎・葛西一揆の討伐に向かった際、須田伯耆親重は父須田伯耆が伊達輝宗に殉死したにも関わらず、重用されないことを恨んで「政宗は一揆を挑発し、氏郷の暗殺を図っている」と蒲生氏郷に訴え会津へ去ったという。
その後、伊達氏は岩出山へ転封となり、この地が蒲生氏の所領となると再び須田氏が月見館に戻ってきたと云われ、慶長3年(1598年)蒲生氏が宇都宮に転封となって廃城となったという。
月見館は広瀬川とそれに流れ込む布川、細布川の間に聳える標高238mの山頂に築かれている。現在は月見館公園として整備されている。
主郭は山頂にあり東屋があって良く整備されている。この主郭から北、西、南東の尾根に曲輪を展開する。北尾根は曲輪が二段ほどで堀切はない。西尾根は堀切を挟んで曲輪が一つ。南東尾根はやや離れた尾根に堀切が二条残っている。
北側に月見館森林公園があり駐車場に案内板が設置されている。ここから南へ続く遊歩道を上っていけば主郭に達する。