築城年代は定かではない。天文年間(1532年~1555年)頃には大内氏の城として築かれていた。
弘治3年(1557年)には豊田対馬守鑑種が城主であったが、長岩城主野中重兼と一ツ戸城主仲間弾正忠によって攻められ殺害された。
馬台城は標高375mの山に築かれている。
山頂部は広くなだらかな地形になっているが、その部分を最大限利用して主郭Iを設けている。最高所の部分は一段小高く削平され、周囲に緩斜面が広がり、淵の部分はところどころ石積が見えている。
主郭の周囲はかなりの急斜面であるが、南端には二条の竪堀1、北端西側面にも二条の竪堀2、3が確認できる。
主郭の北端から北の鞍部に下り、北峰に登ると曲輪IIがある。ここから東へ伸びた尾根には曲輪の造成があり東端が曲輪IIIになる。鞍部の辺りには側面に石積があり、東の谷筋にヌタ場になった部分があるが、これが地元の方が水ノ手といっているところと思われる。
曲輪IIから北へ続く細尾根には堀切4があり、東下の谷筋に二条の竪堀5が確認できる。
道はなくかなりの急坂を登ることになる。東の谷筋に林道があり、途中に巨石を使った石垣で水田(現状畑?)があるが、その辺りから山に登って行く。途中から北の水ノ手方面に登るほうが斜面がゆるく安全。
車で林道をそのまま上り、登口を過ぎてさらに登ると小川に架かる橋がある。その橋を渡った辺りが少し広く駐車可能。