築城年代は定かではないが建久年間(1190年〜1199年)に野中重房によって築かれたと云われる。
天正年間(1573年〜1592年)には平田掃部介が城番であった。
天正16年(1588年)中津城の黒田孝高が長岩城の野中氏を滅ぼすと、家臣の栗山備後守利安に六千石を与え、平田城主とした。このときに石垣などが整備されたという。
平田城は山国川に面した比高50m程の山に築かれており、現在は城山公園として整備されている。別名を白米城というが「まったけじょう」と呼ぶようだ。
忠霊碑のある南の山が本丸で、忠霊碑整備によって改変があるものの、周囲には黒田氏時代の石垣が確認できる。谷を挟んだ北側の山も墓地や畑などとなっているが、石積を伴う段曲輪が確認できる。
東側の公園入口に駐車場がある。