阿波 早渕城あわ はやぶちじょう
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城主は早淵頼母亮で一宮城主一宮成助の妹婿であった。頼母亮は永禄5年(1562年)三好実休が討死した和泉国久米田の合戦で殿を務めて討死したという。
早淵頼母亮のあとはその子主馬亮が継いだが、のちに伊澤城主伊澤氏の別城になったとも伝えられている。
早渕城は福満寺の北東、堤防の西下の辺りとされるが明確な遺構はない。『徳島県の中世城館』によれば、城主を祀った祠があり、現在でも地元の方々によるお祀りが行われているという。