『阿波志』によれば、城主は和田株太夫で天正8年(1580年)9月に黒田で土佐方と戦って討死したという。
『古城諸将記』には「和田株太夫 武田源氏、紋菱、五十五貫」とある。
『徳島県の中世城館』によれば、西福寺と西宮神社の間のあたりが和田城と考えられている。この部分に小川城主を祀った祠があるという。
『徳島県の中世城館』に城主を祀った祠があるとされるあたりを探してみたが、住宅地や水田でそれらしき祠を見つけることができなかった。その場所より南西に位置するところに小さな五輪塔と石祠が祀られていたが、これが該当するかどうかは不明である。